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<<< 変なファランの変なオフィス >>>

翌日パーティーで会ったオーストリア人が昼食に誘ってくれた。待ち会わせたコーヒーショップの外に設置されたテーブルで私とsato-kenはコーヒーも注文せずに坐っていた。その店は私が不買を決めている企業のものだったからだ。日本でも人気の死汚煮巣人(注:真剣な動機を持って検索する人たちが不運にもこの駄文に到着してしまうのを防止するために、当て字を使わせていただく個所あり)の企業だ。ここのコーヒーはパレス地奈人の血の味がする。約束の時間に現れたオーストリア人は我々の目の前に新車のVOLVOを止めた。さっそく我々は彼の車に乗り込み、ドアを閉めようととしたが、その時いかにもタイらしい事件が起こった。新たに人が乗り込めば、加算された重量で当然車体は下に沈み込む。彼が歩道の段差ギリギリに車を止めたために、開いたドアが歩道の段差に当たってしまい、閉じなくなってしまったのだ。通常日本人なら一旦車を降りて適切な場所に車を移動にてから乗り直すだろう。ところが彼はマイペンライ(気にしない)と言ってそのままドアを閉めたのであった。ガリガリガリと、歩道でドアが削れる音がして閉った。オイオイオイ、新車だろこれは・・・・。彼は振り返って面白そうに笑いながらもう一度マイペンライと言った。おもしろがってタイ人のパロディーを実演するところは見上げたもんだが、、新車のVOLVOを犠牲にまでしてやるか?ヘンなやつ。

さて、食事をしながらsato-kenとオーストリア人は昨日のパーティーで発表されたイベントについて話し合っていた。わたしはただ黙って聞いていた。企業からの協賛金の話題になった時sato-kenが言った「ヒラサワはその企業が嫌いなんだ・・・。」 オーストリア人は爆笑する。「ははは、ウチのボスと同じだ!もしかしてヒラサワは60年代から音楽を聴いてたでしょ?」なんで分るの?「僕らの会社は60年代後半から70年代にかけて白人の文化圏を嫌ってアジアに流れ着いたヒッピーみたいな連中が集まって作ったんだよ。まるでコミューンだ。白人のくせに白人が嫌いでね。なにかと大きな力に抵抗したがる。未だにクレジットカードを絶対に使わないヤツも居る。ボスはアメリカの大企業を嫌ってるし、先日もアメリカの大手スポーツ用品メーカーがサポートを申し出て来たのに追い返してしまったんだよ。僕らは一つの企業から多くの協賛金を取らない。規模を問わず沢山の企業から少しずつもらってイベントに口出しされないようにしながらプランを実現させているんだ。今のところうまくいってるよ。そうだ、これから僕の会社に行かないか?」

バンコクの一等地に建つビルのワンフロアが彼のオフィスだった。ドアを開けたとたん私は爆笑してしまった。ホントだ。まるでコミューンだ。60年代のロックバンドが共同生活するために不法占拠した廃墟のようだ。床と天井が葉がされ、パーティションも無しに並んだデスク群は出来るだけ隅に追いやられ、一角にだだっ広いスペースがある。そこではガス風船を手にした社員の子供たちが走り回って遊んでいる。彼らがガーデンと呼ぶ窓際のスペースには雑然と観葉植物が茂っている。さすがにマリファナではないが。まるでタイムスリップだ。ふと70年代サブカルの一角に鎮座したカルロス・カスタネダやジョセフ・チルトン・ピアスの名前がふと浮かぶ。ここの子供達はピアスの育児法に従って、マジカル・チャイルドになるのだろうか?私は背中の噴射機のような形をしたリュックの重みを意識する。70年代あたりから都市生活者がリュックをしょうようになったのはカスタネダの影響だ。カスタネダの片手に持たれた鞄を見て、ネイティブ・インディアンのメディスンが「体に非対称の負荷を与えるなど自殺行為だ」と言ったことに端を発する。そんなことや、あんなことが湯水のようにフラッシュバックする。しかしそれは私の脳内にとどめておこう。今更敗北した運動の話をしても始まらない。

そんなこんなで我々はオフィスの中央に置かれたソファーに、おサイケなロッカーのようにだらしなく座り、仕事の打ち合わせを終えたのであった。

さて、明日はアロマオイルのおばちゃんに会いに行く日だ。