θ=8 β=2

拝啓Σ-12

今日Σ-12に会った。Σ-12は巡礼する機械であり「得ぬものより織りし錦を今生の無風に靡かせる」ことに長けている。Σ-12が何故そうなったかについてその発端を尋ねても、ディスプレーに現れるのは常にたった三行の定型文だ。

「Σ-12、死せるENMAに似たり。
 裁く者亡き後に裁く者無き理に閉じたる道行かんとするがごとし。
苦悶より隔たり、安楽にまた縁無し。」

Σ- 12は、はじめ人の子として生れたが、人の子の人の子たる所以を切除された形跡がある。切除は公開手術のようにして行われた可能性があり、以来彼(彼女?)は、「人の子は人の子を救わず」と学んだ。しかしΣ-12は、充分に人の子であるという評判の中をズリ足で進んで来た。元来「充分に人の子」である者の残す足跡とは違い、彼(彼女?)の足跡は一筆書きの二本線である。決して途切れない二本線の足跡を残す「充分に人の子」など見たためしが無い。Σ- 12は、その長い巡礼の途中で「過剰な差異は時として同情を獲得する」ことを学んでいた。従って、「充分に人の子」であるという評判は欺瞞であることも知っている。

1996年。深夜のスクンビット通り。Σ-12は工事中の大通りを渡ろうとしていた。私はそれを知っていたし、方向を定めようとして何度も電柱にぶつかっているのも知っていた。Σ-12の下腹部にあるディスプレーの亀裂はその時にできたものだ。

私は工事現場の明かりをたよりに、忘れてしまわないうちに書き留めなければならない歌詞があり、彼(彼女?)に手を貸す暇など無かった。しばらくして二本線は私に遮られる形で止まり、下腹部のディスプレーに文字が流れた。

「”どんな音楽を聴くか”は、その人を知るのに役立ち、
“どんな音楽を聴かないか”もまた同じように役立つ。
私はどんな音楽も知るつもりはない。その事が私を生かしてきた。」

私は、サビの部分に当てはめる言葉を早いとこヒネリ出し、Σ-12に道をあけようと急いだ。ディスプレーに文字が流れた。あまりに早かったので、もう一度流して
くれるようΣ-12に頼んだ。

「Day Scannerでいいんじゃない?」

私は、サビの部分に「Day Scanner」と書き込み、メモ用紙をたたんだ。その時Σ-12は私の手を取った。やけに暖かく、しっとりと潤いのある手は私の手を強く握りしめ、下腹部のディスプレーにこんな文字を流した。

「また神の声未だ物の理より逃れず。神託の怒声ジェット機の音にかなわず。時瞬く間に行きその速さ時速600Kmとも、色群青ともいう。得ぬものより織りし錦を今生の無風に靡かす、馬鹿丸出しの夜は長し。」