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引っ越し先は80人の細胞となり-2

Bangkokの空港を出た時は既に現地時間の深夜1時を回っていた。予定していたプランは全てオシャカとなる。空港からホテルには向かわず、夕食のためにPra-Rama-9 Cafeへ直行。Pra-Rama-9 Cafeは数年前、万国点検隊で使用したカフェーだ。あれ以来一度も訪れたことはなかったが、到着するやいなやスタッフたちが挨拶にやって来た。皆ヒラサワを覚えていてくれたのだった。VIPルームに案内され、フリークショーを見ながら遅い夕食を取る。なんという悪趣味!!。その後は特筆すべき出来事も無いので省略。翌日、プーケットへ向かう。

5年以上もご無沙汰していたプーケットの町並みはだいぶ変わっていた。パトンビーチのメインストリートに並ぶ現地人向けの屋外レストランは、観光客向けのこぎれいなレストランに変身し、ファラン(白人)で溢れている。まったくもって退屈な光景。 sato-kenとヒラサワはSIMON CABARETへ直行する。おりしもタイは中国の旧正月の最中。世界爆発劇場や人工ウィルスの影響で観光客が激減していた数ヶ月前までの危機がウソのように大量の観客が訪れていた。開演の時間まで外でぶらぶらしていたsato-kenとヒラサワを見つけたNengが駆け寄って来て抱きついた。キミはゲイ抱きつかれたことがあるか? Nengはインタラクティブ・ライブSIM CITYで半分女、半分男の出で立ちでスクリーンに登場しているダンサーだ。彼は通常男装のゲイであり、いわゆる女装のカトゥーイではない。仏のような人格と物静かなたたずまいは、全てのダンサーから頼られ、信頼されている。かつてヒラサワと親しく交流を持ったプーケット・ファミリーの最年長者で、唯一プーケットSIMONに残っている人物である。

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Neng

「ママTangのところに行こう!」Nengはそう言ってヒラサワの手を取る。ママTangとはSIMONのオーナーであり、私がこっそりTang婆と呼んでいる人物だ。かつてこのPHANTOM NOTESで私は「Tang婆の機嫌が悪いとBangkokのカトゥーイのレベルがアップする」という法則を披露したことがある。Tang婆は上機嫌だった。懐かしさのあまり、危うくヒラサワは「Tang婆!」と呼びかけそうになる。実行していたら大変なことになっただろう。相手は「婆」という日本語を知らないとしても「ばあ」という発音はタイ語で「バカ」という意味になる。Tang婆とNengにSWITCHED-ON LOTUSを渡し、しばし歓談。Tang婆は最後に、「あんたのファンのためにお土産を持っていきなさい」と言ってSIMON CABARETのバッグをくれた。できるだけ沢山もらいたいところだが、荷物になるので4つだけいただくことにした。そしてTang婆は言った。「今年こそは有名になるんだよ」どういう意味だい!!さあ、ショータイムだ。

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SIMON CABARRETのバッグ

会場は補助椅子が出るほど満杯だったが、予想通りパフォーマンスの質は低下していた。主要パフォーマーは死に、引退し、あるいは別の土地へと散ったからだ。退屈し始めた頃、妙に存在感のあるカトゥーイがステージに現れた。おお、麗しのJirawat!Jirawatはキャリアのあるダンサーで、一時期 SIMONから姿を消していた。その間Jirawatのポジションを受け継いだのがAehである。JirawatやAehのように、主に中国歌謡など、いわゆる「しっとり系」のパフォーマンスを担当する者は、常にショーの中で一番の人気を獲得しなければならないという難しい役割を背負っている。Aehが引退してしまった今、このポジションに関してJirawatの右に出るものはタイ中を探しても居ないはずである。ラッキー。

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Jirawat

ショーの後、我々はアンダーグラウンドなカトゥーイ・シアター「TANGMO」で落ち合う約束をし、一度解散した。

(続く)