θ=5 β=5
先日Uターン通勤中に遭遇した奇っ怪な小僧の話。その小僧は夏休みが終わったというのに学校へは行かず、自らに課した夏休みの課題の仕上げのためにせっせと働いていた。その小僧は奇っ怪な私の自転車を見て近寄って来たわけだが、奇っ怪と言えばこの自転車の比ではない。
まず、小僧は何をしているかと言えば、トンボの個体差を調べ、どのトンボが自分の知り合いであったかをつきとめるのだそうだ。小僧にはトンボの知り合いが大勢いるのかと思えば、そうではなく、小僧の説によれば、人は死ぬとトンボになるのだそうだ。しかし、必ずトンボになるわけではなく、特に2000年以降死んだ人がトンボになるという。それ以前に死んだ人は何になるのかという質問には答えてくれなかったので、我ながら野暮な質問をしたと反省している。
小僧の説によれば、地球上の生物の個体数は決まっていて、増えもしなければ減りもしないそうだ。ただ、死んだ場合は別の種として生れる可能性が有るという。つまり、小僧が力説するところによると、人の個体数が増えれば他の動物の個体数が減り、人の個体数が減れば、他の動物の個体数が増えるという。理にかなっているような気がする。
見た限りでは、小学校3〜4年生だろうか。全て自分で考えたのだとすれば手強い相手だ。
さて、トンボの個体差についてだが、最初の段階では、小僧の指にとまるかとまらないかで選別されるという。とまるトンボは明らかに前世では自分の知り合いだという。そう言って小僧は人差し指を空中にかざすが、これがけっこうとまるのだ。指にとまったトンボはカゴに入れ、自宅に帰ってさらなる選別を行う。最終的にそのトンボが”誰”だったのかをつきとめる方法が有るのだという。その方法も知りたいが、その前に素朴な疑問として、この小僧の知り合いはそんなに沢山死んでいるのだろうか?小僧の説によれば、”知り合い”というのは、必ずしもお互いに相手を知っているとは限らないらしい。例えばTVで見た人も知り合いであり、実際に会えば、お互い知り合いだったことが分かるのだそうだ。そんなわけで、彼の知り合いは、最近の戦争で沢山死んだそうだ。胸が痛い。
トンボが誰だったかを知る方法については教えてもらえなかったが、推測するに、小僧は部屋の中にトンボを放ち、どこにとまるかによって回答に接近するのではないかと思う。例えばTVにとまればTVで見た人、という具合に。
ところで、もう一つ小僧に質問してみた。最近私はトンボに縁があるのだが、どういうことなのかと。小僧いわく、知り合いが沢山死んだからだという。小僧の定義する”知り合い”も含めてまったくその通り。
小僧はトンボを追ってどんどん行ってしまった。一緒について行きたかったが、研究のじゃまになるといけないのでやめにした。ところで、気になるのだが、彼はこの夏休みの課題を学校に提出するのだろうか?その時の教師やクラスメイトの反応を思うと胸が痛い。
小僧、そのまま行け。