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三角形の円周を見た男-平沢四郎のミーム

そんなタイプの男は地域に5人は居たよ。たとえば平沢四郎は褒められた物を何でも人にあげてしまう。買ったばかりの鰐皮のベルトとか。「それいいですねえ」と言えば「持ってけ」とその場でベルトを外す。平沢四郎は私の叔父だ。私は彼を「最後の亀有」だと思っている。彼は空間に石油のニオイのする金魚を見ながら死んだ。彼が「見える」と言ったのだから、そうなのだ。

三角形の円周を見た男など序の口である。その男は買ったばかりの「まぜごはん」や「おはぎ」を初対面の人間にくれてやろうとする男。そして「三角形の円周を見た」と、その重大発見を周囲の人たちと共有しようとする男。しかし、そのような男は警戒され、時には恐怖される。他人様に敵対心など微塵も無く、地域に住む人間は一人残らず自分の仲間だと信じ、誰にでも親愛の念を抱いていることを躊躇なく表現する男は、恐怖の対象なのである。もはや世界はそんなふうになってしまった。人間関係は再編成されたのだ。かく言う私も、その男にもらった「おはぎ」に悪い物が入っているのではないかと、数秒疑った。私は自分に恐怖した。だれがそんなプログラムを私に仕込んだのか。

さて、それはこんな話だ。

適量の豆腐と十分な野菜が目当てでとあるファミレスに行った。店内から自転車置き場が丸見えなそのファミレスにはリカンベントではなく、普通のアップライトの自転車で行く。店内に入ると一人の男が「ちゃりんこ」と私に向かって言った。やせ形で歯がほとんど無く、私より老けて見えるが恐らく年下だろう。「ちゃりんこ、できればもっとこっちに置いて。でも今日はいいよ」私は不適切な場所に自転車を置いた覚えはないが、きっとその男にはなにかこだわりがあるのだろうと思い「すいません。次からそうします」と言った。

店内にはちょっとした緊張感があった。男の隣のテーブルには学生らしき男がノートを出して何か書き込んでいる。通路を挟んで向かいのテーブルが私の席だ。周囲の客は男に視線を合わせないように、ひっそりとしていた。

「先輩」と、その男は私を呼んだ。

男:先輩の自転車、ギア付いてる?何段あんの?
平沢:6段かな。
男:充分。6段で充分だよ先輩。オレなんか4段までしか使ったことないよ。

次に男は隣の学生風の男にちょっかいを出す。

男:めし食いなが何勉強してんのぉ?なあ?
学生:あ、英語です。
男:英語かあ、オレも昨日NHKの英語の番組見たよ。英語はなあ…。
  おまえは将来総理大臣になって日本を危機から救えよ。
 
次に、男にビールを運んできたウエイトレスのおばちゃんにちょっかい出す。

男:おばちゃん、働けよぉ。先輩、このおばちゃん働かねーんだ。
おばちゃん:私はもうここに10時間もいるんですよ。働いてますよ。
男:あ、そうか。ごめんなさい。はい、ごめんなさい。

男:先輩よお、ちゃりんこさ、盗むやつがいっから、今度からオレの視界の中に
  置いてな。オレ見張ってるから。
平沢:あ、ありがとう。いつもそうしてるの?
男:そうだよ。いつもオレここの席でお客さんの自転車見張ってんだ。
平沢:それは助かるよ。
男:何いってんだよ、おやすいご用だよ。近所の人は仲間だからな。
  オレは出来ることはやってやろうと思ってな。

と言って再びとなりの学生風にちょっかいを出す。

平沢:おにいさん。
男:オレ?おにいさんて? またおだてて。なんも出ないよ。何?
平沢:彼は将来日本の危機を救うんだから邪魔しちゃダメだよ。
男:いや、こいつ寂しいんだよ。オレわかっから。
平沢:寂しいのはおにいさんだろ。
男:いやいやいや。先輩、いやいやいや。先輩、隣来いよ。
平沢:先輩に移動させちゃダメでしょ。
男:いやいやいや、じゃオレそっち行くか。
平沢:ダメ。

私の豆腐サラダが到着。

男:先輩よぉ! オレが発見した事聞きたい?
平沢:聞きたいね。
男:ホントか?
平沢:ホント。
男:じゃ教えっか。あのな、三角形は何個集まると円周が生じるか?オレは発見した。
平沢:それはすごい。いったい何個なの?
男:4個だ。4個でいい。じゃ、先輩、両親は健在か?
平沢:あれ?三角形はもう終わり? ああ、両親は健在だよ。
男:オレ今さ、「おはぎ」買って来たんだけど、これ先輩の両親に持ってってよ。
平沢:それはだめだよ。自分のために買ったんだろ?それはもらえないよ。
男:いやいやいや。さっきもさ、「まぜごはん」持ってってもらったんだ。ここに来ればさ、
  誰か食べんだろうと思って買ってきたんだよ。だから持ってって、なあ先輩。
平沢:そこまで言うなら貰うよ。みんなが見てるし、顔つぶしちゃいけないしな。
男:いやー、それが一番。それが一番なんだて、先輩よ。

私と男の関係に何の異常があろうか、何の危険があろうか。私は食事が終わり、レジへ向かおうと立ち上がり、男に言った。

平沢:おにいさん、そのビール代私が払うよ。
男:なんでよぉ!だめだよそんな。な、なーに言ってんのぉ。
平沢:いや、私が払う。それが一番。それが一番なんだって、おにいさんよ。

男はしばし考え込み、意を決したように顔を上げて言う。

男:先輩、それで気が済むか?
平沢:気が済むよ。
男:よし、じゃごっそうになるよ。先輩、悪いな。

レジへ向かう私の背中で、男はまたしても隣の学生にちょっかいを出している。

男:いやー、気持ちいいなぁ、あの先輩。   
学生:はい。
男:なーにが、はい、だよ。ホレ勉強しろ。

ヒラサワも一日気分がよかった。