パスの重き門-7

θ=4 β=6

—-ピチェット先生の門—-

さて、ようやくパレードの日に戻ってきた。夕方にはパレードで見つけたカトゥーイに写真を見せるため、某所で落ち合うことになっている日だ。折しも緊急出動を要請していたカトゥーイからは連絡があり、夜には会えるという。しかも、我々のために帰国日まで休みを取ってくれたらしい。OK。OK。やっといつものタイらしくなって来た。sato -kenの部屋へ行き、その事を知らせ、パレード見物の準備をしているところに部屋の電話が鳴った。Mintだ。Mintはパレードに連れて行って欲しいと言う。更に、タニヤ流ではなく、カトゥーイみたいに綺麗な日本語を話せるようになりたいので日本語を教えて欲しいと言う。昨夜の一件、ぼやき姉さんの転職への門が開きかけたのを見て、思うところがあったらしい。せっかくの向上心、何日、いや、何時間持つかは疑問だが、我々はMintの同行を許可した。

ホテルのロビーで我々を待っていたMintは積極的ではつらつとしていた。買ったばかりの日本語の本を持ち、ノートを広げて次々とメモを取っていた。我々を見たMintは「おはようございます。ごきげんはいかがですか」と挨拶した。いつものMintとは違う丁寧な日本語。拍手。Mintは我々のためにカフェー(タイで”コーヒー”と発音してはいけない。理由は省略)を注文し、しばらく日本語の質問をした後、てきぱきとタクシーの手配をした。その後のパレードは特筆することもなく、我々はしばらくしてホテルに戻った。sato-kenはMintのために日本語の教師となる。時折わざとインチキな日本語を教えて悪ふざけをする。その度にMintは「そんなん意味ないやん!」とぼやき姉さんの口癖を真似る。インチキの日本語を教える楽しさは私も充分知っているが、今日のMintは真剣なので参加は控えよう。私は部屋に戻り、パレードで撮影した例のカトゥーイの写真をより分けた。

あっという間に夕方になる。出かける準備を済ませ、sato-kenの部屋へ。どうせ日本語教室はトランプ博打にすり替わっているだろうと思い、ドアを開けてビックリ。なんという奇蹟。日本語教室はまだ続いていた。一行は約束の場所へ。そこにはすでに例のカトゥーイが待っていた。例の長身のカトゥーイは女性サイズの小柄なカトゥーイと二人連れだ。早速熱心に写真を見て二人でいろいろと論評している。タイ語で話しているために何を言っているのかあまり分らなかったが、姿勢のことや、髪をかき上げる時の指使いなどについて話しているらしい。Mintが小柄なカトゥーイにくぎづけのまま、我々はしばし歓談。

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二人はタイ北部からバンコクに出てきたが、まだ性転換手術を終えていないという。あれやこれやの話をするうちにMintがトイレに立つ。その時長身のカトゥーイが言った。「今日はありがとう。私たち明日からシンガポールに出稼ぎに行きます。ごめんなさい、もう帰らなくちゃ」なるほど、カトゥーイがシンガポールやドイツへ出稼ぎに行くという話はよく聞く。せいぜい稼いで帰ってきて欲しいものだ。「お幸せに」と合掌しながら丁寧なタイ語の挨拶を残して二人は去った。そこへMintがトイレから戻る。二人が居ないのを見て「どこへ行きましたか?」と聞いた。「シンガポールへ行ったんだよ」するとカトゥーイ事情をよく知らないMintはビックリして「なぜですか?」と聞いた。答えは簡単。

ピチェット先生の門をくぐるために。

★用語解説★

ピチェット先生:2003年08月11日(月)「拝啓ピチェット先生」を参照。