θ=5 β=5

—Magic Sync、そして赤の洪水—

眼光鋭く、なお穏やかなたたずまい。見る者を安堵の波に遊ばせる芸風こそ「万物の姉」と呼ぶに相応しいクッカイ嬢(大袈裟か?)。久々に大物と出会えたと喜んだのもつかの間、彼女はシンガポールへ出稼ぎに行ってしまった。そのクッカイの穴を埋めるべく香港から帰国したのがフィアットだ。タイプはまるで違うが存在感は圧倒的だ。クッカイを「万物の姉」と呼ぶなら、フィアットはその妹だ。20歳代前半にしてこの出来栄えは、10年前ならあちこちで見ることが出来たが、今は見つけるのが難しい。彼女たちの芸の真髄は、リップシンクと呼ばれる技にある。言ってみれば単なる歌まねの口パクなのだが、計算された口の動きと表情だけてパフォーマンスの80%を成就する。女性より女性らしく見えるその技はしかし、どんなに記憶をたどっても本物の女性の振る舞いの中には見たことが無い。事象の源泉たる原理との同期共振: Magic Sync。それがSP-2が意識的、無意識的に目指す目的地なのかと言ったら大げさか?大げさついでに言っておくと、”妹”という言葉から連想されるイメージとは裏腹に、あるいは下で見る写真のイメージとは裏腹に、フィアットは雲をつくような大女なのだ(ナイショな)。そうだ、Magic Syncというタイトルのライブはできないだろうか・・・。

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左はGun、右がFiat

タクシーを1時間も飛ばして来てくれたフィアットが路上でこちらに手を振る。周囲から一斉に視線が注がれる。おい、群集!こっちは見なくてよし!!。見比べられたら最後、道路のこっちで手を振るsato-kenとヒラサワがどれほど見劣りするか想像しただけで背筋が寒くなる。彼女は道路を渡りわれわれの元に。いいってば、来なくて。目的地は道路の向こう側なんだから。危機は予想通りにやって来る。環境に不慣れな者の手を引いて道路を渡るのは彼女らの流儀だ。だが、今はやめてほい。あんなに人が見ているんだから。180センチを超える長身にハイヒールの美女が、背中に噴射機を背負った男の手を引いて道路を渡る姿を想像してみてほしい。いや、しなくていい!!しかし、危機は回避された。彼女は私の手をとる代わりに、親しい友人でもない限り、あまり干渉したがらない「男性に混じった本物の女性」に手を差し伸べたのだった。さすが。フィアットに手を引かれながら道路を渡るsato-kenの従姉妹を見てヒラサワはほっと胸をなでおろす。

さて、スイカジュースやビールや熱いウーロン茶や名前を知らない液体なんかが並んだテーブルを囲んでフィアットの出稼ぎ経験談など聞く最中、従姉妹嬢はSP-2の詳細な観察から学んだ美しいグラスの持ち方を体得しようと、首をかしげながら何度もグラスを上げ下げしている。それを見たフィアット、やおらグラスを鷲掴み。内容物をいっき飲みしてコン!とテーブルに置く。「これでいいのよ」とにっこり笑うフィアットを真似て従姉妹嬢もグラスを鷲掴んでいっき飲み。一同が笑ったスキを見てフィアットは若干ヒラサワのほうに向き直り、「あれじゃダメよね」という含み笑いを見せる。少々の敵対心と無邪気な勝利感の表明。これは悪意ではなく、事情を知る者同士が共有する些細な悪ふざけだ。フィアットが鷲掴みのいっき飲みに際して肘と手首に仕掛けたMagic Sync。その角度の黄金率をこっそり従姉妹嬢に教えてあげることにしよう。

「明日はショーを見に来てくださいね」と言うフィアットを乗せ、タクシーは深夜の道路をマッハの速度で去って行く。冷凍庫のような車内では大音響のルクトゥンが鳴っているに違いない。私には拷問だ。だから、さあ、宿まで歩こう!

翌日我々はフィアットを見にGolden Domeへ。ヒド過ぎる音響にそなえて耳栓を持参。嘘ではない。出力の足りない音響システムで聴感上の音量を確保するため、中高音域を極端に強調して歪んだ音は不快そのものだ。このシアターは良質の出演者を確保しながら、音響、照明、演出、音効、客さばきがデタラメなのだ。しかし、ショーが始まると、もろもろが改善されていることに気付き、装着していた耳栓を外す。音響60点、照明20点、演出50点などなど。

さて、ショーが終われば撮影大会だ。出演者はシアターの外に出て客と記念撮影してチップを稼ぐ。出演者の月給は約13,000円。チップが無ければ生活できない。従って、優秀な者は外国に出稼ぎに行く。エージェントがマフィアやヤクザと分かっていても。ちなみに写真左のGunは秋から一人で日本に出稼ぎに来る。フィアットが頼る者もなく中国や香港から着の身着のままで逃げて来たこと3回という話を聞き、万が一に備えてGunには我々の携帯番号を教えた。おっと、Waiは忙しく出演者のSP-2から情報収集している。彼は今SP-2のデータベースを作成中で、新しいSP-2を見つければ飛んで行く。撮影大会もほぼ終了し、出演者が楽屋に帰って行く中、Waiが遠くから声を出す。「ししょー!しゃしん ほしいひといるかー?」。遅いよ。もうみんなひっこんじゃったじゃないか。その時フィアットがヒラサワに近寄り、「写真撮りたい子がいたら呼んできますよ」と言ってくれた。そこでヒラサワ、「えーと、名前知らないんだけど、さっきそこに居て、赤いドレス着てた人・・。」と言ってみる。フィアットは楽屋に引き返し、しばらくすると赤いドレスのSP-2を連れて来た。おそらくはチップを期待して来たであろうその子に、キミじゃないとも言えず、一応写真を撮ってチップを渡す。フィアットに「ごめん、あの子じゃないんだ」と言っている最中に、ポツリ、ポツリと赤いドレスのSP-2が外に出て来た。最初はポツリ、次第にゾロゾロ、ついにはドッと現れ、瞬く間にヒラサワは赤いドレスに囲まれてしまう。こんな時、私にできることが他にあったら教えて欲しい。ゲラゲラ笑うWaiに向かってヒラサワは叫んだ。

ワイ!!!! 両替してこい!!!!