「『超・乙女』あんどう蒼の着地点」を巡って当サイトの掲示板に意見が投稿されている。Phantom Notesの中にある「私が感じたこと、考えたこと」に関する賛否の議論や批判はOKだ。しかしそれは私の記述や発言をちゃんと読んでから、という事を最低限のルールとして欲しい。初歩的な読み違えの積み重ねから創作された「物語」については、「私は無縁です」という以外にない。

そもそもPhantom Notesは作品であり、ちゃんと読んでくれるのなら、ある人がそれをどう読んだかが全てである、という私の基本姿勢を崩すつもりはない。そして私はそこに介入するつもりはない。しかし、そこで平沢を批判したいのなら、どうかそれを越えないでほしい。「分からない対象としてのSP-2やGID」に対して自身の見解を加えるなら、「それ相応の責任のもとに」を基本姿勢として欲しい。また、私の記述を曲解したまま引用する場合に生じることについても同様である。

SP-2やGIDの話題はわかりづらい。圧倒的に情報不足であり、まして当事者と膝を交えて話す機会など通常は無いに等しい。更に、世間には間違った情報があふれている。私が発する情報でさえ全て正しいなどとは思っていない。それはいつでも修正する用意があり、あえて批判を受けるために拙著「SP- 2」を数名の日本の当事者の方々に読んでいただいている。従って私とて間違った見解を示す人に胸を張って「ちがう」と言える立場ではないと認識している。しかし、以下のことだけは記憶しておいて欲しいと強く願いたい。

このサイトは、当事者の人々も閲覧している。
私が公開したSP-2のエピソードは日本のGIDの経験や背景と合致することが多々ある。ゆえに、GID当事者不在、あるいは参入できない状況の中で、「当事者ではない者」が持ち得る理想論、正論、感情や関係の道徳的な整合性等を主張することについては注意深くなって欲しいということだ。表現の仕方によっては、書き手の意に反して「容赦の無い棘」として当事者を苦しめてしまう可能性もある。

「それなら当事者が参入すればいいだろう」という意見もあるかと思うが「それは困難である」ということをどうか今は説明抜きで受け入れて欲しい。

正論が「棘」になるなどという事がなぜ起きるのか、なぜ「参入は困難である」のか、という疑問が生じるのは、「ことこの場においては」私のSP-2 に関する仕事が未完成であることに由来するところもあるだろう。従ってそれなら「わかんねーぞヒラサワ!」と、私を批判すれば良い。

「じゃあオマエが参入しろ」という意見もあるだろう。だが、それは出来ない。私の参入はリスナー同士の対立に発展する可能性があるからだ。私は仕事を通じて説明を続けて行くしかない。